24 de Marzo 2011
ムネノウチ
「西日本に住んでいて良かった」
と、(今は)放射能の心配も、停電になることも無いエリアに住む人でこう述べる人もいる。
「地震の被害が無くて良かった」
と、揺れても何も被害が無かったエリアに住む人で、こう述べる人もいる。
「うちは停電のエリアじゃなくて良かった」
と、地震の被害に多少遭っても、停電にならないエリアに住む人で、こう述べる人もいる。
「停電にはなるけれど、水も出るしガスも出るから良かった」
と、被害が遭ってもライフラインに影響が無いエリアに住む人で、こう述べる人もいる。
「家は住めなくなってしまったけど、家財だけでも助かって良かった」
と、全壊の被害に遭っても、津波で全てを流されてしまった訳では無い人で、こう述べる人もいる。
「津波に遭って家も車も家財も思い出も全て流されてしまったけど、家族全員無事で良かった」
と、大怪我を負っていても、家族全員命だけは助かった人で、こう述べる人もいる。
「命だけでも助かって、ホント良かった」
と、家族幾人かの行方が判らなくなってしまっていても、こう述べる人もいる。
今日テレビで観たのは、避難所の人がバケツの少ない水で洗濯をしながら
「洗濯が出来て良かった」と、述べていた。
それぞれ欲望に対しては無いものねだりで上ばかり見るけれど、悲惨な状況においては下を見ながら思う事が多い、と別に今初めて思った事では無く、些細な事で前から思っていた事ではあったけれど、今回の被災でもより一層感じた。
この考え間違ってる!って思った人は是非、いつかじっくり私のこの考えを解いて欲しい。
そして、『命だけでもあって良かった』と述べている人等が、毎日それ以外のもっと色々な事で『良かった』と思える瞬間が沢山やってくる日が来ますように、と心から祈ります。
でも恐らく、これからはますます復興に向っていくにはパワーが必要で、『良かった』とは逆な思いを抱く事が多々出てくると思う。そのときにまわりの助けられる、手を差しのべられる人間が手を差し出す事が大切で、私も手を差し出せるような人間であり続けたいと思う。
まだ震災と一切関係無い事は無いブログでした・・・
そして、これも未来の自分へのメッセージ的ブログでした。
次回こそ、軽~い軽~いいつもの記事の予定です・・・。w