ノビアパパはノビアさんのトイレ係

16 de Mayo 2011

駄文

詳しくは無いけれど、昔から宇宙の事を考えるのが好きだった。

今、空で瞬く星の光ったその時点に瞬間移動が出来たとして、そしてその場所からこの地球を覗けたとしたら地球には恐竜がいる時代だって中学生のときに聞いた話にとても浪漫を感じて、そこから星を眺めるのが好きになった。

そして、こんだけ目に見えてる星だけで訳判らない程の数があるのだから、絶対所謂宇宙人なるものも存在しているだろうし、想像を絶する大きさだったり小ささだったり色だったり形だったりという生物だとかがいるんだと思っている。
そして、想像出来ない程の何かがあるのだ。想像出来ないのだから想像しようも無いのだが、それが何かと考えようと試みることがある。
だが、何度も言うが想像できもしない何かなのだから、それについて考えようとすると脳みそが沸々してきてプシュゥ~ッと音を立ててショートする。

その感覚と似たショートを久しぶりに体感した。

ちょっと『生』について考えてみた。ええ、今話題の生肉のユッケの・・・・・て、違わぃっ!
『LIFE』の方だ。『RAW』ではぬぁい!

考えようとすると宗教を持たぬ癖に宗教がかったような考えが頭に広がる。
『生』について考えたのは初めてでは無いけれど、ここまで宗教がかった考えに至ったのは、やはり震災&原発問題勃発以降だ。

何で私は地球に、人間として、日本人として、あの両親から、生まれてきたのだろうか?ってな具合から考えはじめる。
まぁ、何故地球に、という所についてはあまり深い思いには至らないのだけれど、何故人間として生まれたのか?と。
人間って神様に一番試されている生き物な気がしてきて。知恵を授かっているようでその使い方を誤っている気がしてきて。

私が人間として生まれたことに、意味があるに違いない!と考えようとするとそれだけで神様は私の何を観察してるんだろうか?とか思い始めてきて・・・。ね、宗教がかってるでしょ?そして何故日本人として?にすら辿り着けずプシュゥ~ッとショートです。
なので、考えたいことに到達しきるまではまだまだ時間がかかりそうです。

生きていることというのは何か試練という感覚がしてくるんだよね、考えてると。
試練、という風に思うなら今のこの生活は試練に感じていないから何か違うのかなって思い始めてくる。試練が辛い事というのは思い込みなのかもしれないけれど、ヌクヌクしているように感じてくる。

日々、食べたいご飯を食べられて、猫と添い寝して、旦那とテレビ見て笑って、時には些細な事で愚痴って、友達と呑んで、時には踊って、という事は私の人生の中で『当たり前な事だけど実はとっても幸せな事』という認識はあるけれど、『生』の意味と生活するうえでの幸せと感じるその事って、互いを引き合いに出す話じゃないんだよな、何か違うんだよな。

『生』の意味・・・・・・・・。

もしかして私の考えてる事って哲学の類い?

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