ノビアパパはノビアさんのトイレ係

7 de Julio 2012

小さな出会い

どんな場所でも、人と出会う機会があるよね。
次に会うことがもしかしたら、もうないかもしれない。
いや、ない確率のほうが高い出会い。

入院中ってそういう出会いが、まぁ、よくあるんです。苦笑

今回の入院では移動移動で3部屋体験したのですが、
最初の部屋は、まぁ、超腸の具合も悪かった頃の1泊目だった上
同室の方は、恐らく痴呆が入ってる方だったと思われるので会話などすることなかったけど、
次の部屋では徐々に具合が良くになるにつれ、
カーテンを開放し、同部屋の人と仲良く話し始めた。

最初は苗字しか知らない仲。
だけど、みんなしゃべる事しか無いから、色々な身の上話とかもガンガンしだす。
ここは病棟。勿論具合が良くなれば退院するので、ずっと仲良くできる場所ではない。
段々親しくなるにつれ、そんなわけで別れも早くて寂しい思いもしょっちゅう。
しかも残された側は、まだ退院できる体調ではないので、
取り残された感たっぷりで、よけい凹む。

実は今迄の入院、同じ病棟の人とそこまで親しくもならなかったし、
自分のほうが先に退院していた側でもあったので、寂しい思いにならなかったのだが、
今回は、ノロや腸炎などで数日入院でサラッと退院していく人たちが結構いて、
時々寂しくなっていた。
そこに輪をかけて隣のベッドの人が別の人と交わす会話がグッと胸に刺さって
何度か涙した。

用事があったり、どうしても風呂に入りたかったりで
(超古病院で風呂、入りたくないと思う程の清潔感なのである)
途中外出許可を貰ったのだが、数時間の外出で病院に戻ってきたとき、
一瞬どっちが私の世界なのかわからなくなったりもした。
今までのいつもの生活の方が偽物の世界っぽい気分になったり。

病院は病気や怪我を治すところだけれど、心は病むなぁ~って実感もした。

そんな思いを共感できる人というのは
同じようにベッドに横たわる人でないと出来ないんだよね。

お腹壊してる人で体を動かせないとベッド横に置くポータブルトイレで用をたすのだけれど、
それを恥ずかしいとか思ってられない状況もあったりで、もはや開き直るしかないのだ。
家族にすらこんなとこ見せないっていうような状態を
ここ数日隣に寝た仲の人には曝け出すという特殊な状況。
そんな部分もあるからか、なおさら共感しやすい(気がする)。

で、今回の入院では、本当に隣の人とたくさん話して親しくなった。
機会があれば、いつかお宅にお邪魔してお茶してまた喋りましょうって約束した。
この約束は、約束であるけど必ずしも守られるべき約束では無い。
現にその人とは電話番号の交換をしたわけでも無い。
でも、なんとなく実現しそうな気がしている。いや、実現したい!
(その人は飲食業をやっていて、そこに食べに行く約束はした。
彼女はまだ暫くはお店にいないだろうけど)

なんか小さな出会いも棄てたモンじゃないなぁって思う。

そしてどこにでも出会いって転がってるもんなんだよなって
改めて感じたわけです、今回の入院で。

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