ノビアパパはノビアさんのトイレ係

23 de Noviembre 2012

恩師

『恩師』と呼ぶ先生は幾人かいらっしゃるのですが、
その中で飛び切りダントツの先生が1人。

この先生に教わったのは小学校3~5年。
6年では親の転勤で引っ越してしまったので3年間しか教わる事ができなかった。

その先生は「超おっかない先生」ということで生徒みんなからとても怖がられていて
以前から噂だけは聞いていたのだが、
クラス分け発表の日、先生に自分の名前を呼ばれたとき
「ぎゃ!最悪だ!」と思った事から思い出は始まっている。w

これは今思う予測なのだが、私がその先生に受け持たれる事になったのは、
1~2年生と、とんでもないヤンチャなガキだったのだ。
1~2年生の頃から当時の担任に殴られる日々を過ごしていて。手に負えない類の生徒だったと思う。
だから、先生に任せようって事になったのではないかと。

で、時は過ぎ、気がつくと私は先生にべったりの甘えん坊になっていた。
休み時間になりゃ先生にまとわりつき、先生が歩けば片手を占領してずっと手を繋いでいた。
放課後もよく先生のバイクに乗せてもらったりかまってもらった。
先生のご自宅にも何度か遊びに行かせていただいた。
休みの日にみんなで遠足(学校行事とは違う)にも行った。
我が家にご飯を食べに来てもらったこともよくあった。
でも、他所のお宅にもよく招待されていた。取り合いだった。w
親子共々に親しまれていた先生だった。

怒る時は、真剣に怒られるので、今でも思い出して泣ける程。w
本当に可愛がっていただいた。

20代の頃だったかな。幼馴染と先生のお宅に遊びに行った。
結婚式にも来てくださった。

本当に慕っていた。
でも、それからは会う機会が無く年賀状のやりとりだけが続いていた。
会いたいとずっと思っていたけれど、それも叶わなくなった。

先生はお亡くなりになっていた。

とてもショックを受け、悲しくなって泣いた。

そして奥様に手紙を送ったのだが、それが届いて電話をくださった。
また泣いた。そして思い出や想いを色々話した。
先生にとっても私たちの世代はとても思い出深かったようで、
それを聞いてとても嬉しく思った。
とてもたくさんの生徒に慕われていた素敵な先生だったということを改めて感じたけれど
同時に奥様のお話を伺っていたら、ハッとした。
土日もそういえば私たちが先生を占領していた、、、、ということは
奥様やお子さんたちは、どんなにかさみしかっただろう、と。

それに気付いたら今更ながら少し動揺してしまった。

先生にもう会いたくてもお会いできなくなってしまったけれど
本当に思い出がたくさんあるので、それを思い出し続けたいと思った。

先生にお会いできたことは本当に私にとって大切なことでした。
先生の行動が私の今の人生に全部繋がっています。
今の旦那っちといることも繋がってます。
先生がバスケやサッカーを地域に当時取り入れる事に尽力くださったんですよね。
そして私はバスケをやる事になって・・・。

あ、きっと先生、天国でもサッカーしてるんだろうな。
天国からは生徒じゃなくて奥様とお子さんたち、お孫さんたちだけを
見守ってあげてくださいな♪

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