ノビアパパはノビアさんのトイレ係

25 de Enero 2017

無題

今日の内容について書くことは、それが偉いとか偉くないとか凄いとか凄くないとか絶賛や批判するためのものでは無い、とまず最初に述べさせてもらいます。

ずっと前に誰かが書いたもので一言一句間違わずの記憶ではないけれど、こんな感じのものがあった。

「子育てが大変と悩んでいる親は子供がいない人を悠々自適でうらやましいと思う
 子供がいない(できない)人はどんな子でもいいから、と、子を欲しいと思う
 五体満足でない子を持つ親は子が五体満足だったら良かったのにと思う」

もっと、内容は細かくてもっとわかりやすく書かれていたようにも思うけど
この『願い』は、また冒頭に戻ってグルグル巡る。
『ないものねだり』という言葉を使うけど、それを、ちょっと『贅沢』な願いであるように感じさせてしまったらそれは全然意図してないのでゴメンナサイ。
ヒトというのはないものねだりをする生き物なのだなってその時思った。

私もこの堂々巡りの『ないものねだりの願い』の1つに該当していたけれど、
今はそこに執着していないので(しようが無くなったという言い方が正しいかも)
この言葉をあまり思い出さないでいたのだが、
最近この想いに近いような発言を耳にして、ふと思い出した。

自分の着地点を決め、自分が納得できるように向けていく。
そこにしか着地点が無い場合もあるかもしれないけど、
皆、ちゃんと自分の想いをおさめていこうと、もしくはそうなろうと必死に努力する。
着地点がそこにしか無い場合、受け入れられない思いもものすごくあるだろう。
でも、ちゃんと着地体制を整えていく。

その思いを教えてくれた子がいた。ものすごく強い子だと思った。
自分を鼓舞して奮い立たせている部分もあると思う。強くなるしかなかったのかもしれない。
でも、その子の考えに胸を打たれた。

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